茶商としての願い


茶という世界を語るとき、おのずとでてくるのが「茶の湯」。
そこには、深閑とした中に響く一点の音にも似た、優麗さを感じさせます。
「宇治茶には響がある」と言った人がいます。
例え、それが職場で飲む茶でも、家で飲む茶でも、茶の湯でも、茶を飲んだ余韻は同じではないでしょうか。
「一服する」この終止符にも似た余韻こそ、私どもが大切にしたい言葉です。
"茶" と書いて "うるほひ" と読ませたい。
いつどこで飲んでも「茶は深く静かにしみいる"うるほひ"」であってほしい。
それが、茶商たる私どもの願いです。